2016年5月21日土曜日

もと肥満児から痩せた結果… 

関口です。

最近飲み過ぎ、食べ過ぎで体重がやばい。

夏の海に向けて体を絞る。



など思っていませんか?

気になる方は今すぐ以下のビデオをご覧ください。





今回は、

あるパーソナルトレーナーが肥満児から痩せた話です。



僕が肉体健康プログラムで勉強したノウハウです。


書き起こしもお届けします。

畳一畳で始める『無動トレーニング』
今すぐ以下をクリック!


以下、文章は修正済み


先生
こんにちは。

X-Power第12話を開始します。


今日のテーマは『ズームアウト肉体進化』

今日はゴールドジムの島田さんをゲストとして
お迎えしました。

島田さん、こんにちは。

島田さん
こんにちは。

先生
誰だ島田さんっていう人はいると思んですけれ
ども…

島田さんはゴールドジムでパーソナルトレーナ
ーをトレーニングを教えているいるんですよね?

ウエイトトレーニングとか色々なケトルベルだ
ったりとか…

いろんなことを教えていて、もう何年になりま
す?

教えていて?

島田さん
ゴールドジムで活動して11年目になります。

先生
11年目で、その前はどこでやっていました?

島田さん
その前は日本のホテルでホテルニュー大谷って
いうホテルがあるのですが、

その中にあるとても高級なスポーツクラブで結構
社会的地位の高い方たちを指導させていただいた
り、後は一般のスポーツクラブとかで…

元々デビューは公民館なんですけれども。

公民館から一般のスポーツクラブに入って、ホテル
ニュー大谷、ゴールドジムというような流れになっ
ています。

先生
じゃあ、もう公民館からスタートして何年になりま
す?

島田さん
15年ぐらいになります。

先生
15年もうずっと教えてきて今、僕のパートナーで平
さんを2年半ぐらいになるのかな?

島田さん
そうですね、ちょうど2年半になります。

先生
ゴールドジムで指導していただいて、それで今に至っ
て。

僕と初めて会ったのが2014年の香港だったかな?

島田さん
はい。香港セミナーで初めて。

先生
謎のPT-Xというセミナーになぜかゴールドジムの…

島田さん
PTを勘違いしてパーソナルトレーナーだと。
参加したんですね。

先生
それで僕がお金を儲かったんでいい勘違いなんです
けれども。

それで2015年のオーストラリアのシドニーでも会い
に来てくれてセミナーで。

2日間頑張って勉強した訳ですけど。

で今に至る訳で。

なのでトレーニングをそのものに入り込んだ。
トレーニング虫に噛まれたのはいつです?

島田さん
小学校5年生の時に僕は超肥満児だったんですけれども。

先生
神崎さんよりです?

島田さん
神崎さんの昔の写真と比べると僕の方が太っていたんですが…

担任の先生とても気に入っている先生だったんですけれども。
ある授業の時に僕の事を「おい、ブー」って呼んだんですよ。

それまでそんな事を言われた事がなかったんですけれども。

その「おい、ブー」の一言で僕は傷ついてですね。

前日ぐらいにたまたま、僕のおばあちゃんが「ロッキー」か
何かを見ていたんですよね。

先生
ロッキーの1です?
2です?
3です?

島田さん
ロッキーの1です。

そのトレーニングシーンが僕の中に頭に浮かんで、
なんかトレーニングをやろう!

って思ってその日自宅に帰ってたまたま父親が会社休みだった
んですけれども。

トレーニングをしたいって言ったら、一緒にホームセンターに
行って鉄アレイを買ったくれたんですよね。

先生
5キロのやつです?

島田さん
3キロでした。

10歳で3キロでトレーニングの仕方も分からないまま、独自で
やっていって。

今考えると恐ろしい事をいっぱいやっていたんですけれども。

そこからトレーニングに入って行きました。

先生
それで小学校10歳?

島田さん
10歳の肥満の状態だったんですけれども。

学校から帰ると遊びに行ったり、そろばん塾に行っていたんですけ
れども。

そろばん塾に行く前にトレーニングをしてっていう生活が当たり前
になっていき。

中学に入ってからは体力測定みたいなのが必ず毎年あるんですけれ
ども。

いつも学年でトップになっていったのが、トレーニングするとこん
なに変われえるんだ。

先生
高飛びとかもです?

島田さん
そうですね。

先生
じゃー脚力もあったって事か。

島田さん
長距離は1位じゃありませんでした。

意外に全ての種目で高得点で、総合点では僕がいつも
1位だったんですね。

体育の成績も10段階だったんですけれども、いつも
10を取れるようになって。

なんかいい感じに変わっていったんですよね。

で、体が変わっていって精神面の方も。

僕はぜん息でおばあちゃん子でとても内気な子だったん
ですけど…

先生
高校生どうでした?

島田さん
高校の時も身長低かったんですけれども。
体育の成績はそれなりに長距離以外は良い成績でした。

先生
トレーニングも最初は鉄アレイを買ってでヨイショ、ヨ
イショってやっていたのが、

少しずつ覚えていって。

島田さん
中学は3年生で部活が終わったんですけれども。

先生
何の部活ですか?

島田さん
バレーボール部に入ってました。

先生
へー。ケンジさんと同じ。
ケンジさんと同じ学校でした?

島田さん
違います。

バレーボール部で精神面が変わったというのは
キャプテンをやったり、生徒会長をやったりと

変わったいったんですね

高校生に入ってバレーボール部にやっぱり入っ
たんですけど。

高校1年生の時に半月板をやってしまいまして。

手術をしてこのままやっていても膝がずっと悪く
なってしまったら怖いなって思って部活は辞めて
しまいました。

話が前後してしまうんですけれども。

中3の時からスポーツクラブに特別に入れていた
だいて。

マシンを使ったり、そのダンベル、バーベルを使
ったトレーニングは初めていました。

先生
最初は誰に教わっていました?
その15歳の時に入り始めた時に。

島田さん
ジムのスタッフですね。

先生
おっさんって感じです?


島田さん
おっさんでした。

先生
それで高校に行ってトレーニングを続けて、それで
大学に入り。

早稲田に行かれたんですよね?

島田さん
大学は明治だったんですけれども。
早稲田は大学院でした。

先生
明治大学で何かトレーニング関係の事を専攻をしたん
です?

島田さん
全く違う理工学部でした。

理学部と工学部が合わさったようなものです。

先生
メカニックって感じです?

島田さん
メカニックをやっていました。

先生
大学院は早稲田で何を専攻していました?

島田さん
スポーツ科学を専攻していました。

先生
キネシオロジーみたいなやつです?

島田さん
大学院の場合は教授に付いて研究をするっていう感じ
だったので。

先生
要するに弟子みたいなやつですよね。

それで終わって「よしスポーツ関係をやろう」と公民
館へ行って感じです?

島田さん
えっとですね。

順番的にはゴールドジムで活動し始めてから
早稲田の大学院に行っているので。

大学院は今から5年前です。

先生
最近なのか。

島田さん
そうなんです。

先生
明治大学を卒業してそこから?

島田さん
最初はメーカーに就職しました。

先生
何のメーカーです?

島田さん
コンビというベビー用品。

先生
X-Babyはその時ありました?

島田さん
ありませんでした。

先生
悔しいですね。

ベビー用品で働いて、担当は何でした?

島田さん
まさにベビーカーの設計でした。

先生
メカニックだからね。

それで何年くらいそこにいました?

島田さん
半年ぐらいで辞めました。

先生
それで次は?

島田さん
それで次が学習塾に勤めました。

先生
何を教えていました?

島田さん
算数、数学、理科を教えていました。

先生
学習塾は小学生です?

島田さん
小、中、高でした。

先生
すごいですね。
それは何年ぐらいやりました?

島田さん
それが7年半です。

先生
結構長いですね。
それで次は?

島田さん
塾の先生をやりながら最後の3、4ヶ月はパーソナル
トレーナーとかぶさっている。

重なっていて。

塾での収入をトレーナーとしての活動で収入が超えた
らトレーナーにしようという風に決めまして。

案外思っていたより早く3ヶ月くらいでトレーナーの
収入が上がっていったので、トレーナーに絞りました。

先生
どういうきっかけで塾で教えながらトレーナーになった
んです?

パーソナルトレーナーに?

島田さん
塾の仕事が嫌だったというのは全くないんですけれども。

授業中に突然50歳になった時の自分みたいなのを考え
ちゃったんですね。

50歳でこんな授業をやってんのかな?
って思ったら不安になってしまって。

今考えると塾を経営するとかという風に
そういう発想もあるんですけれども…


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